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その瞬間、自分が立ち眩み起こしたとか具合が悪くなったと思った。
誉められる行動ではないけれども、急いで外に飛び出したのがそれからとった自然な行動だった。

だってウチの会社の社屋、ボロ、いや歴史があるんでギシギシという軋み具合が物凄くて壊れんばかりの勢いだったし。
外に出たら出たで駐車場に止めてある車がビョンビョンと縦揺れな状態。
ホント、クルマってタイヤとバネ、それにダンパーで地面と接地してるのが改めて判る感じ。
後に震度が判明する事だけれども、自分が今まで体験した事のないような強烈な揺れ、いや、地響き。
電柱が揺れる「ブーンブーン」って音とか、建物が揺れる「ギシギシギシ」って音とか、クルマが揺れる「ブンブンブン」とか、とにかく聞いた事ない怖い音ばっか鳴ってた。

近くに人がいたから理性を保っていたけど、過去に何度か体験したような類いの、死に近いヤバい匂いを感じたよ。

社屋に立て掛けてあった物は倒れ、駐車場には亀裂が走る。
幾度かの余震にもその都度飛び出した。だってそうしなきゃ建物ごと押し潰されてもおかしくないような感じだったから。
その後、情報収集の為に付けっぱなしにしていたテレビからはお台場のビルとか京葉コンビナートの火災映像。そして東北に押し寄せる津波の映像が。

定時を迎え会社を後にする訳だけど、その頃、自転車通勤をしていたので、幸いにもいつも通りの帰宅時間で帰る事が出来た。
帰りの道中、当時まだ建設中のスカイツリーを望んだのだけれども、いつも通り凛々しく建っている姿にホッとしたのを覚えています。

帰宅してからは幼稚園で揺れにあったムスメの無事を喜び、自宅にいた妻とムスコの無事を喜び。
そして再びテレビからの情報収集。時間的には晩ご飯時だったのだけれども、コドモ2人には自転車用のヘルメットを被せながらと、ちっとも落ち着かなかった。
その日は酒を飲まなかった、というか晩酌をする気が起きなかった。

テレビからは事態の収束どころか、どんどん悪い方向に向かうニュースが延々と、ホントに延々と。
「若林区荒浜に200〜300人の遺体」
それを繰り返すナレーションや火災の映像とかが頭に残って、その晩は、案の定寝れなくて、いや、正直なところ、断片的に寝たんだけど寝た気が全然しなかったのを覚えてる。

でも翌朝、改めて自分はやっぱ日本人だなーと思ったんだけど、いつも通りに出勤して、そしていつも通りの時刻にタイムカードを押してた。

それが自分の経験した2011年3月11日〜12日早朝。

戦後日本に幾つかある、それ以前、それ以後の、「それ」に該当する、一番近い日だ。


あれから2年経ち、防災に対する意識もだいぶ変わったけど、自身の生き方に対する考え方も割と変った感じがする。

そんな3月11日。

改めて、亡くなられた方たちのご冥福とお祈りすると共に、未だ多くの身元不明の方たちが一日も早くご家族の元へ帰れる事を願って過ごしたいと思います。

 絆ニッポン